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《にこ》について

クラリネット修理
ホルン修理

やがて音楽に関する仕事に興味を持つようになったものの、吹奏楽部の活動に入れ込むあまり学業が今一つだっため、音楽大学への進学は断念。とはいえ演奏がとりわけ得意ということもなかった私は、「ならば!」と裏方として演奏家を支える仕事に目を付けました。

そうして学生向け進路探しの本で探したところ、"管楽器リペア師"という仕事があることを知りました。周りの演奏仲間の楽器が故障したのを見たこともありますし、私も自分の担当した楽器が壊れた経験があります。それが直って手元に帰って来た時の仲間の反応や、私自身が感じた喜びから、この道に進むことを決めました。

はじめまして。道津和実と申します。私の出身は、長崎県の上五島。キリスト教信仰に厚い、自然豊かな島です。

中学までは剣道一本だった私ですが、高校進学を機に別のことがしたいと思いました。そして「昔から音楽の授業が好きだから、楽器の演奏に打ち込むのもいいな」と吹奏楽部の門をくぐり、そして管楽器に出会ったのです。

体験入部でいくつか試した金管楽器のうち、トランペットは駄目だったたものの、吹き口(マウスピース)の大きなトロンボーンと、逆に小さなホルンの2つは音が出せました。その時、ほかにもトロンボーンの音が出せた新入部員がいたことから、私の担当楽器はホルンに決まりました。

その後、兵庫県にある株式会社福永管楽器に、金管担当リペアマンとして就職を果たします。

当時の社長(現会長)がおっしゃるに、採用の決め手となったのは「面接時に『何か吹いてみて』と言われた際、とっさにモーツァルトのホルン協奏曲を吹いて見せた事」だそうです。もちろん、それが理由のすべてではないことは理解しています。それでも、専門学校時代に一生懸命練習し、たどたどしくもどうにかこうにか吹けるようになった曲を評価してもらえたことは、とても嬉しかったものです。音楽で食べていこうと決めた私に、音楽が道を照らしてくれた、そんな出来事でした。

高校をなんとか卒業後、大阪にあるESA音楽学院の管楽器リペア科に入学。そこでまず感じたのは、周りとのあらゆる"差"でした。右を見れば支部大会常連校出身の人、左を見れば全国大会出場校出身の人。おまけに口を開けば「あのシステムが云々」と知識も段違い。私はといえば「え? ホルトンって何?! ホルンの親戚??」などと思いながらそれを聞いているほど無知でした。そんな、ほぼすべてに「はじめまして」なスタートをした専門学校も、周りの先生や先輩、友達等に支えられながら卒業に漕ぎ着けました。しかし、もっと研鑽したいという思いと就職にありつけなかった現実もあり、さらに同学院の研究科でもう2年修学。

それから7年半ほどの間、同社で勤めさせていただくことになります。勤務時は"楽器の健康"を中心に考えながら業務に取り組み、そして自信を身に着けてからは「お客様に、より楽器に親しみ楽しんでいただきたい」という思いから、楽器のチューンアップやオリジナルの押金貝製作なども手掛けていました。音楽雑誌のリペアマン特集に取り上げられたこともあります。

仕事以外でも、外部参加が可能な演奏会に加わったり、時々は趣味のスイーツ店巡りを楽しんだりと充実した日々を送ることができました。また、市民楽団に入って演奏家同士のつながりを広げたりもしていました。

2020年、10年以上にわたって慣れ親しんだ関西を離れ、故郷に戻って来ました。そして「地元長崎で演奏される方々にも、より楽器に親しみ、楽しく和(にこ)やかに音楽ライフを送っていただきたい」と、"金管楽器専門 修理処《和(にこ)》"を5月に開業いたしました。お店、というより工房、というより事務所、というより自宅といった感じの場所です。それでも、奏者であるあなたから始まる音楽がにこやかな表情で伝わっていくために、私が持てる知識と技術を振り絞ってサポートできればと思っています。楽器は、充実した音楽ライフ送るための、かけがえのないパートナー。その状態が少しでも気なったら、どうぞご用命ください。

誰かの楽器を元気にする、という仕事との出会い

そのとき、音楽にしがみついた日々に、音楽が応えてくれた。

楽器とは、音楽のある人生をより豊かにしてくれる大切なパートナー。

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